自分が消えたら・・・


「自分」が消えたら、「神」がなさる。


「恐れ」が消えたら、「愛」がなさる。




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# by milacle-milacle | 2017-06-17 21:23 | Comments(0)

「わたし」の正体



「わたし(個人)」の正体は「わたしたち(全部)」。



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# by milacle-milacle | 2017-05-30 11:50 | Comments(0)



「自分」が「確実にいる」という錯覚が、実は最大の究極の苦しみで、


「自分」が「確実に存在している」前提が崩れない限り、


私たちは「自分」という名前の牢獄の中で、


「自分」という「制限」の中で、苦しみ続ける。





その制限の中でも、どうにか心地よくなろうと、


ハッピーな夢を実現するために、何者かになろうとする。


いかに嫌な思いを避けて、いい思いをするか、


を、無意識に必死で、それ基準で考えている。




でも、自分が嫌な思いをしないで、良い思いだけを選びたいという、


このこと自体が今度は執着になり、


苦しみになる。




なぜなら、この現象界に顕れているものは、


顕れては消えていく、とどめることが出来ないものだから。


良い状態も、いつか変化して、嫌な状態になるときもある。



人に誉められても、翌日にはけなされるかもしれない。


今は自分が好きでも、明日には自分のことが大嫌いになっているかも知れない。


良い状態で居続けることに、必死になることが、


逆に苦しみになる。




そしてこの苦しみの根本は、


「自分」という一番愛着のある、この存在が確実にいる、という信念があるから。


一番愛着のある、自分に、嫌な事を避けて、良い思いをさせてあげたい、という強い思いがあるから。





でも、それも幻想から出てくるゲームに過ぎない。







本当は、


「自分」の牢獄からの解放が、誰もが深いところで求めていること。



本当のあなたは、「あなた」という名前もない、区切ることもできない、


制限のないフィールド、静寂の場所だから。






































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# by milacle-milacle | 2017-05-27 22:03 | Comments(0)



空(くう)は、どこかにあるんじゃない。



現象界は、目に見え、音が聞こえ、味わえ、匂いがあり、触れば感触がある。



捉えることのできる世界。





じゃあ、空(くう)は?




空(くう)どこかにあるんじゃない。



今、もう、すでに私たちは空(くう)の中にどっぷりと浸かっている。





空(くう)=静寂の場所。




空は(くう)は、静寂の場所は、どこかにあって、隠れているんじゃない。


もうすでに、その中にいるから、見えないだけ。


見ている世界、聞いている世界、味わっている世界、触れている世界、すべてが、もうすでに空(くう)、静寂の場所。






私たちは見える世界、聞こえる世界、味わえる世界、触れられる世界、


具体的な世界にフォーカスしているから、



この、空っぽの「ない」世界が同時に存在していることを見過ごし続けているだけ。





そこから、離れたことなど、一時もないのに。



















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# by milacle-milacle | 2017-05-04 14:56 | Comments(0)

全てを無に帰する




個人は自分がすべてやってると思っているので、


失敗が怖いし、誰かを傷付けないか心配(自分の罪が恐い)。


他人の目が気になるし、自分の評価が気になる。




でも、個人はこのストリーの中でなにかを演じているだけで、


それは幻の自分。



「わたし」という分離された「個人」はここにはない。



わたしたちが個人を捨て去った時に、現象界すべてが立ち上がっている大元が、


本来の私たちの出発点、ふるさと、出所だということが感じられる様になってくる。



そこは、分離のないフィールド。


そこは、なにもないフィールド。


なにもないけれど、現象界全てを立ち上がらせるパワフルなフィールド。



そこを仏教では「空(くう)」と言う。






なにもないフィールドから、有る世界が立ち上がり、


あたかも有る様に見えるけれど、有る世界だけがすべてではない。


でも、有る世界だけがすべてと思うと、執着が生まれ、理想が生まれ、


自分個人の願いが叶わないことで、苦しみが生じる。




でも、「ここ」(現象界)で何が起こっていても、


空(くう)のフィールド(静寂)は、全てを受け止め、全てを無に帰する。


優しい、慈愛の場所なんです。




そして、それは、どこかにあるのじゃなくて、


いつも片時も離れることなく(離れることはありえない)、


わたしたちは、優しい、慈愛の中に今も全てを受け止められ、


そして全てを無に帰してもらっている。




掴んでるのは個人の私だけで、


本当は、常に、常に、何が起こっても、何を成し遂げても、何かをしでかしたとしても、


常に無に帰っている。




チャラになっているんだよ。

















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# by milacle-milacle | 2017-04-22 11:30 | Comments(0)

現象界で起こることは、すべてこの静寂の場所で無条件の愛によって受け止められています。

by milacle-milacle
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