全てを無に帰する




個人は自分がすべてやってると思っているので、


失敗が怖いし、誰かを傷付けないか心配(自分の罪が恐い)。


他人の目が気になるし、自分の評価が気になる。




でも、個人はこのストリーの中でなにかを演じているだけで、


それは幻の自分。



「わたし」という分離された「個人」はここにはない。



わたしたちが個人を捨て去った時に、現象界すべてが立ち上がっている大元が、


本来の私たちの出発点、ふるさと、出所だということが感じられる様になってくる。



そこは、分離のないフィールド。


そこは、なにもないフィールド。


なにもないけれど、現象界全てを立ち上がらせるパワフルなフィールド。



そこを仏教では「空(くう)」と言う。






なにもないフィールドから、有る世界が立ち上がり、


あたかも有る様に見えるけれど、有る世界だけがすべてではない。


でも、有る世界だけがすべてと思うと、執着が生まれ、理想が生まれ、


自分個人の願いが叶わないことで、苦しみが生じる。




でも、「ここ」(現象界)で何が起こっていても、


空(くう)のフィールド(静寂)は、全てを受け止め、全てを無に帰する。


優しい、慈愛の場所なんです。




そして、それは、どこかにあるのじゃなくて、


いつも片時も離れることなく(離れることはありえない)、


わたしたちは、優しい、慈愛の中に今も全てを受け止められ、


そして全てを無に帰してもらっている。




掴んでるのは個人の私だけで、


本当は、常に、常に、何が起こっても、何を成し遂げても、何かをしでかしたとしても、


常に無に帰っている。




チャラになっているんだよ。

















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# by milacle-milacle | 2017-04-22 11:30 | Comments(0)

ノイローゼの原因



究極の位置から言うと、


この世に「正しさ」なんてないよ。





「何が正しいんだろう」って、考えるから、


ノイローゼになるんだよ。



だって、無いものを探してるんだから。





この世の人間が生きているストーリーには、


法律も、ルールもあるよ。


でも、究極の視点から見たら、それも人間が作ったもの。





頭の中で「何が正しい生き方か、何が正しい選択か・・・」と、


探し始めたら、しんどくなるよ。





正しさも、間違いも、ない。




正しさと、間違いは、ストーリーの中にしかないから。




私たちの本質は、


ストーリーには無いから。









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# by milacle-milacle | 2017-03-27 12:58 | Comments(0)

だから大丈夫。




「個人」はいなくて、「ひとつの全部」しかないということは、



「個人」の罪や、ストーリーや、栄冠も、責任も、真実の位置から見たら、



何もない。



もし、あるとしたら、



「ひとつの全部」の罪であり、


「ひとつの全部」のストーリーであり、


「ひとつの全部」の栄冠であり、


「ひとつの全部」の責任。






分離しているように見えるのも、


「ひとつの全部」の中で起こっている一人芝居。






エゴは「切り離された分離された個人」からの目線でしか、


物事を見ることができないので、


「個人がなくて、多数の別れたものがあるのではなくて、ひとつの全部しかない」


というパラダイムにどうしても立てないし、意味すらも理解できない。

(そしてこれは理解では到達できない)






分離されているという錯覚を持っている「エゴ」が、


薄まって、縮小して、消えていけば、


それと同時に、「ひとつの全部」の世界が幕をあける。




そして、それは現れたり消えたりする世界ではなく、


いつも、実は、「ひとつの全部」しかない。







全ては「ひとつの全部」の中で起こっている、


素晴らしくも意味のない動きがあるだけ。





個人は存在できないから、








だから、大丈夫なの。
























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# by milacle-milacle | 2017-03-17 10:07 | Comments(0)

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# by milacle-milacle | 2017-03-16 15:54 | Comments(0)

静寂の場所




この現象界には、「個人」はいない。




分離された、すべてから独立している「個人」はいない。






・・・ということは、ストーリーは流れているけれど、



そのストーリーを所有している「個人」はいない。






個人の罪もない。



個人の栄冠もない。



個人の責任もない。






なぜなら、「個人」がいないから。




「全体」しかないから。




























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# by milacle-milacle | 2017-03-15 11:59 | Comments(0)

現象界で起こることは、すべてこの静寂の場所で無条件の愛によって受け止められています。

by milacle-milacle
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